三日目。本日はコンサートはなし。ファンクラブの小旅行はキャンセルしたが、ホテルで過ごすのももったいないのでハンプトンコートに行くことにした。ハンプトンコート宮殿には美しい庭園があり、庭好きのYにとっては訪れてみたい場所のひとつであり、私にとっても花が咲き乱れるこの季節に是非訪れてみたい場所だった。バスでウォータールー駅まで行く。お弁当にと売店でお寿司を買った。(駅のような所にも寿司が売っているのにビックリ。五年前にはこんなことはなかった。)改札も何もないプラットホームに入っていくと、今まさにハンプトンコート行きの列車が出発しようとしていた。そして私が列車に乗り込んだとたんドアが閉まってしまった。Yは扉の向こうに。列車はそのまま走り出した。Yの「後で追いかけるから」と言う声がかろうじて聞こえた。二人ずれで乗り込もうとしているのがわかっていただろうに、イギリスの駅員はいじわるだと思ったことだった。
思いかけず列車の一人旅をすることになり、最初はちょっと心細かった。取り残されたYの方が心細くて大変だろうなと思いながらぼんやり窓の外を見る。最初は都市の周辺にはどこにでもあるような風景だったが、15分も行くと緑の美しいイギリスの郊外の風景に変わった。ウィンブルドンを過ぎ、30分ほどでハンプトンコートに着いた。Yは多分30分で来るはずである。売店を見たり、駅に飼われている風の猫と遊んだりして時を過ごした。
Yの到着後すぐに駅のそばにある宮殿へ向かう。広い庭には花々が咲き乱れため息が出るばかりである。クリフの’The Only Way Out’のプロモビデオが撮影された樹木の迷路は別料金ということで、外からのみの見学となった。なんといっても歴代の王様たちが住んできた城である。英国史の中でも、私の興味を引くヘンリー八世やアンブーリンも、ここで生活をしたのかと思うと不思議な気分になる。閉じられた大きな門の向こう側に馬車に乗った人達を見たときには、百年くらい前の世界に入ったかのような錯覚に陥った。もっとゆっくりしていきたい気持ちではあったが、友人とロンドンで会う約束があったので4時ごろには出発した。その前にハンプトンコートの横を流れている川の岸辺で、買ってきた寿司で遅い昼食を取った。かっぱ巻きとか太巻き風のものとかが入っていたが、非常にまずかった。特にご飯の炊き方がひどいと思った。
四日目。朝からロンドンの町にショッピングに出かける。これといって買う物もなかったのだが、女にとって買い物は興奮するものである。Yと二人で、この服は日本の方が良いだの、高すぎるだのと散々文句を言いながら何も買わずに、めぼしそうな店を見て歩いた。実際ロンドンは物価が高かった。価格破壊で安価なものに慣れた日本人にとっては、ロンドンでわざわざ買うものは非常にすくないと思った。それでも歩き回って、どうしても買って帰らなければならない土産や、衝動買いをしたものでかなりの荷物になってしまった。HMVにも行ってみたが、クリフのCDも日本にあるものばかりだった。ただ土産物屋で、クリフの歌入りバースディカードを見つけたときは嬉しかった。二種類のカードがあった。また店の表には宣伝にポスターも貼ってあった。
この日のコンサートの私の席はストールだった。贅沢を言ってはいけないのだが、アリーナは盛り上がりは最高だが、席に段差がついていないので、後ろになるととても見難い。前の人が立ったりすると最悪である。自分も立てばよいのだが、自分より後ろの人が立っていないと気が引ける。前の人とは違う方向に頭をかしげ、なお且つその前の人の髪の毛の間から見ているようなものであった。その点ストールは最高である。段差はあるし、椅子も回って舞台の方を向けるようになっている。それほど舞台に近い席ではなかったが、とても良く見えた。舞台に一番近いボックス席で、ファンクラブの人達が日の丸を振ってノリノリなのもわかった。かなり目立っていたように思う。この日も滞りなく舞台は進んだ。フィナーレが’The Faithful One’が歌われると知らずに、’Movin’ On’で帰ってしまう人達が何人かいて、「それはもったいないよぉ」と私は心の中で叫んでいた。まだ曲が歌われるのに気づいて、扉まで行ったのを引き返そうとする人もいたのだが、係員がそれを許さず、強引に外に出してしまった。かわいそうで痛く同情した。
ステージの後、この日もお見送りをするために道路で待った。一昨日とはちがい、15分くらいでクリフの車は出てきたが、やはりかなりのスピードだった。それでもクリフの笑顔が見えた。
この日は金色の上着からピンクに着替え、二部はコバルトブルーから銀衿の白の上着に着替えた。ズボンはブルージーンズだった・
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